2016年12月29日木曜日

楽しむことを学べ

このブログのタイトルであるDisce Gaudereはディスケ・ガウデーレと読みますが
ラテン語で「楽しむことを学べ」という意味で、
古代ローマの哲学者、セネカの言葉です。
『村田エフェンディ滞土録』という
主人公がトルコに留学するという小説でこの言葉に出会い、
私も留学でそういう日々を過ごしたいなと思いタイトルにつけました。
もちろん、専門である平和教育学や国際政治学を学術的に学ぶことは必至だけれども、
それ以上に、世界中の多様な価値観に出会って、
「平和」という切り口から世界を見て、自分を見て、
自分も他者もより豊かにする術、
そして、日常の一瞬一瞬をより楽しむための術を身に付けたいなと思っていたのです。



というわけで、21か月に及ぶフィリピンとコスタリカでの留学を終えました。
フィリピンにいた卒業式前後にだけでなく、
帰国してからもしばらくは多忙すぎてあまり実感がなかったけれど、
こうして二つの修士号の紙切れと、
同級生にもらった手紙を読みながら、ああ終わったんだなと実感します。


私にとってはペーパーを書きまくって単位を得て
2つの修士号を得たという事実よりも、
その過程で出会った人々やその人たちと繰り広げたディスカッション、
そして彼らと一緒に過ごした何気ないひとときの方が財産。

この経験のおかげで、
自分自身のこと、身の周りのこと、世界で起こっていること、
いろんな物事に色がついて鮮やかに見えるようになった。
以前からあったけれど、自分の目には映っていなかった、
または映っていたけれどフォーカスしていなかったような事柄が
しっかりと輪郭と色を持って、クリアに見えるようになった感じ。
そしてそういう事柄に対して
自分自身がどう思うのか、どう感じるのか、どうしたいのか、
見極めて言葉にするという作業が少しずつ楽になってきた。
自分の感情や想いにスポットライトを当てて、
無視せずに、時間をかけてきちんと向き合うこと。
これは以前よりもできるようになった気がする。


今度はいつ、みんなに会えるかな。
コスタリカから帰る前日に、仲の良かった友人たちと会った時そんな会話が出て、
当時は「地球は小さいから、いつでも会えるよ!」
「わたし、絶対遊びに行くから!」なんて言っていたけれど
シリア難民の状況は相変わらずだし、
ベルリンでのテロやトルコの政情不安、
アメリカの先行きもわからないし、
何より日本だって、これからどうなるかわからない。
自分も、周りの友人たちも
世界情勢の間に翻弄されている事実を今更ながら体感して
自分の小ささと何もできない無力感に悲しくなる。


でも「平和は自分から」という恩師の言葉を胸に
そしてネルソン・マンデラも言っているように
教育こそが世界を変える最もパワフルな武器だと思うので
この武器が少しでもいい使われ方をされるように
これから尽力していきたいと思うのです。


この21ヶ月間、そしてそれ以前からこの留学のために
たくさんの支援をしてくださったみなさまに感謝いたします。
そしてこのブログを読んでくださったみなさまにも。
わたし一個人の気ままな記録ですが、
もし海外で学びたい、平和学や平和教育学を学びたいと思う方々の
背中を少しでも押すお役に立てたら非常に光栄です。

というわけで、これにてDisce Gaudier in the worldの更新を終わります。
読んでくださって本当にありがとうございました!




2017年がより多くの人にとって幸せと笑顔溢れる日々となりますように。
















2016年12月9日金曜日

卒業試験おわり

いやはや、すっかりご無沙汰でした。
というのも11月は怒涛の日々で、プレゼンや提出物、
そして11月末に二日間に渡って4科目の卒業試験などなど盛りだくさん。
試験はなんとか無事に合格でした...!

というわけであとは来週の卒業式を待つのみ。
試験が終わってからというもの、
同級生たちと美味しいご飯を食べに行ったり遠足に行ったりしていたんだけど、
結果が分かって一安心したからか、気候が寒かったり暑かったりするからか、
その後がくんと体調崩す...フィリピンやっぱり最後まで侮れない。


そんなこんなありつつも、いよいよこのプログラムも終盤。
ということで、このブログも卒業式後のアップで終わろうと思います。


いやー、いろいろあった20ヶ月半!もちろん楽しいことばかりの日々じゃなかったのは事実。
国連平和大学という名の元に集まる学生はさぞかしピースフルなのかと思えば、
まあみんな人間だから当たり前だけれど、いろんな人がいる。
そもそもなにが平和かなんて人によって全く違うし。
持っている価値観も文化もごちゃごちゃになっている異文化の中で暮らすということは、
自分自身との葛藤や他者との衝突が絶えないものだと思う。
というか、ここ数年海外で生活をしていて、そういうことが絶えたことがなかった。
そしてそれは一見平和とは程遠い。

けれども私にとっての大きな学びは、
葛藤や衝突は決してネガティブなものばかりではないということ。
決していつも上手くいくわけではないけれど
そして時として膨大な労力が必要になるけれど
それでも葛藤や衝突の試行錯誤があるからこそ
理解しあったり受け止めあったりする余白ができる。
というか、そうやっていろんなものを捻じ曲げても余白を作らないことには、
結局何も変わらない。
時には葛藤や衝突を避けることは平和の構築どころか、
むしろ声が上がらないことをいいことにネガティブな状況を助長しかねない。
平和って、努力して作り上げていくプロセスなんだってつくづく思う。
そして個人のレベルでも、それがなんと難しいことか。ほんとに。


今日もフィリピン人にとても重要な約束破られて
このやろー!!!ってなってる自分がいるし...(笑)
2年近くずっといろんな角度から平和を考えてきたけれど、
未だに実践となると難しい。

そうは言っても来週には平和教育学のマスターの称号を得るので、
今後もしっかり精進していきたいと思います。
てか世知辛い日本でこんな平和なんちゃらとか言ってたら思いっきり干されそうだけど!
日本帰るのもなんか怖いよなぁ...約2年ぶり!

ともかく次回がラストですー!





2016年10月8日土曜日

卒業プロジェクト終わり

気がつけば履修するべき授業はすべて終わり、課題も出して、残るは卒業プロジェクトのみ。そして今月初めには、企画していたローカルコミュニティでのワークショップも終了!

実施するにあたってはいろいろ事件があって、やっぱり、ローカルコミュニティでの仕事って大変だよなぁ...と協力隊時代を思い出した期間でした...(笑) めちゃくちゃストレス溜まったけれど、チームメイトとカラオケ行ったり美味しいご飯食べに行けたりするのは、フィリピンのいいところ。





おそろいのプロジェクトTシャツ!

そして山あり谷あり、事件が多々あったワークショップも、終わってみれば結構うまくいったんじゃないかな、という手応え。内容は広くいうとジェンダー教育だけれど、もっと言うとジェンダーにまつわるステレオタイプを減らすこと、それに関する暴力を減らすこと、そして暴力ではなく適切な言葉を使ったコミュニケーションをしましょう、という啓発活動。2回に渡ってコミュニティの男性、女性それぞれを対象に行いました。





男性のワークショップ風景(ディスカッション)

こういう、年齢も学歴もバラバラな、しかも大人を相手に授業計画のようなものを作ったことがなかったので、とても勉強になりました。参加者に身近じゃないテーマをどれだけ親しみやすく、わかりやすく展開するかとか、まだまだ今後の課題です。





女性のワークショップ風景(コミュニティリーダーのあいさつ)


残念だったのが、私がタガログ語を話せないので、オンタイムで参加者とやりとりがなかなかできず、言葉が分かればもっとフォローもディスカッションもできたのになあということ。言語ができるってやっぱり大事。
とはいうものの、参加者の皆さんはとってもモチベーションが高くて、英語で話しかけてくれる方もいて、私もたくさん勉強させてもらいました。こういう場がもっとコミュニティの人々にとって身近になるといいな。



そんなわけで、残された学生生活はこのプロジェクトに関するプレゼンテーション、最終レポート、そしてディフェンス(プレゼン+質疑応答)でおおよそ終盤。そして11月末にある卒業試験に合格さえすれば、晴れて卒業です。

なんだかんだ、あと残り二ヶ月ちょっとのフィリピン。雨季でビーチな状況ではないけれど、ていうか試験勉強やら就活もあるけれど、頑張って楽しまなければ!

2016年8月30日火曜日

授業と課題とフィールドワーク

今月に入ってから授業が2科目になり、先月までの授業の課題に加えて、新しい授業のプレゼンや卒業プロジェクトに向けてのフィールドワークなど、慌ただしい日々です。

そう、時折びっくりされるのだけれど、このAPSプログラムでは原則、卒業論文を書きません。でもその代わりに、グループでフィールドプロジェクトを行います。

私は他のクラスメートたちと一緒に、フィリピン都市部の貧困層を対象としたジェンダー教育をテーマに目下活動中。最終的にはワークショップなどを通じた啓発活動につなげたいんだけれど、今月初めはそのための意識調査を一週間にわたってやってきました。本来は2日間で終わらせる予定が、むちゃくちゃ暑かったり豪雨だったりの天候不順、それに加えてまあどこにでもある時間のルーズさが相まって、結局一週間かかったのでした..それはそれは大変だったけれど、でも普段決して会えない人々と交流ができて、実際の生活を肌で感じられたのはとても貴重な経験でした。




「都市部の貧困層」というのはつまりスラム街ということで、家の状況は人それぞれ。トタン屋根の四畳半くらいの広さに大人三人で住んでいるというところもあれば、台所やリビング、寝室もきちんとあってコンクリート造りの家もある。月200ドル以上の安定した収入がある世帯もあれば、収入はほぼなくいろんな人からの寄付で生活する世帯もある。子どものいない老夫婦もいれば、子どもと孫も入れて13人家族もいる。でも基本的にコミュニティ内には電気と水道が通っていて(電線と水道のホースでただでさえ細い道がさらに細くなる)10年ほど前よりはずいぶん良くなったのだとか。まだまだ衛生面ではとても改善が必要だけれど。

お菓子を作って生計を立てているお母さん

そんなコミュニティーの家々を回って、私たちのグループはプロジェクトにまつわるアンケートをしていったわけだけれども、その中で「あなたの周りにLGBTの人はいますか?」という質問がありました。まだきちんと集計していないけれど、私がインタビューした人の7〜8割はいる、と答えてしかもそのうちの半分くらいは家族や親戚にいる、とのこと。そのLGBTの家族は差別されたりするの?という質問にもノー。

もちろん、そういう人ばかりじゃなくて、敬虔なクリスチャンの人はLGBTは聖書で許されない、と断固反対だったりするんだけれど、それでも、私は日本との温度差を感じずにはいられなかった。LGBTの政治家もいるこの国と、未だに女性への差別すら根強い日本と、いったいどっちが発展している国なんだろう、と思ったりした。

このプログラムのPeacebuilderとして国連平和大学で平和教育を勉強して、もう今までの人生で一番 ”平和” っていう言葉を発しているから、自然とその意味を考えるわけだけれども、きっと、みんなが自分らしく生きることが許されている社会のことを平和と呼ぶのかもしれない。






2016年7月17日日曜日

ミンダナオ島でのフィールドトリップ

フィリピンに戻ってきて、あっという間に一ヶ月。
この間に二つの授業をとって、フィールドトリップでミンダナオ島に行き、明日から新しいコースが始まります。
ペーパーが全く追いつかない...


それさておき、フィールドワークで行ったミンダナオ島北部のBendumは、Kagayan de oroからハイヤージプニーで5時間くらい。
途中、川を渡らなければならなくて(橋とかなくてそのまま本当に川を渡る)、水位が上がると渡れないということでマニラを朝4:30のフライトで出るという強行スケジュールでした...



ミンダナオと言うと、民族紛争の代名詞のような、危険な香りが漂う気配があるのだけれど、私たちが訪れた北部地域は他の島からの移住者や先住民族が多く住む地域なので、直接的な紛争の被害はあまりないように感じました。フィリピン軍が滞在しているとか、森の中に隠れている勢力がいるかも、ということは耳にしたけれど。

夜になったら蛍もいるし、天の川まではっきり見える星空や、明るい森とか、700〜800メートルの高地に位置していたこともあってちょっと肌寒い感覚とか、なんかこれ知ってるな〜と思ったら、ウガンダとそっくりでした笑




そもそも、このミンダナオというフィリピンで二番目に大きな島には、様々な先住民の人々が暮らしていて、それぞれの部族が異なる文化、言語、風習を持って生活していた。地理的に東南アジアの交易の中心地だったこともあり、1380年頃にはイスラム教が伝わっていた。その後16世紀から17世紀にかけてスペイン人植民者の影響を受け、キリスト教が流入。それが大きく変化したのが第二次世界大戦後、自分の農地を求めて他の島から移住者の流入や、その後もプランテーションや伐採業者がきたことで職を求めて他の地域からの移住者が相次いだ。それによって島民の大半がキリスト教徒を占めることになり、少数派となったムスリムとそれはそれは長い抗争が続いている。ここ数年にわたって和平交渉が積極的に進められているものの、去年9月にミンダナオ南部のサマル島で外国人観光客が原理主義過激派に誘拐され、今年4月には殺害されていたりと、まだまだ争いが絶えない。


そんな背景があって、ミンダナオ紛争は民族抗争やキリスト教とイスラム教の宗教対立で括られそうになるけれど、実はそれだけで済むような問題ではなくて、自然資源の奪い合いになってるところも大きい。そして、その一番の被害を被っているのが、今回訪れたような先住民の人々なのです。



で、ここに何しに行ったかというと、私の大学の研究機関のようなところにいる神父さんが、ここで先住民の方と一緒に30年以上様々な取り組みをされていて、それを勉強しに行ったのです。


5日間にわたって、先住民の幼稚園&小学校、中学校、職業訓練校、コーン農家、森の散策、とコミュニティで行われている様々な取り組みを見学させてもらいました。

一番感動したのはやっぱり学校。



何がすごいって、ここの少数民族学校は少数民族の言語を中心に授業が行われていて、農業や手工芸など民族の価値観を大事にしているし、そしてなんと授業料が寄付なのです。
現金ではなくて、野菜とか鶏とか。
だからここで学びたいという意思さえあれば、勉強ができるのです。
もちろんこれで全てまかなえているわけではないので外部からの寄付がとても重要なのだけれど、コミュニティの求める教育をきちんとカリキュラムにして、なおかつコミュニティの人々がアクセスしやすいように考慮して実行できている、というのはものすごい労力だなぁと。
教育省からの認可も受けている学校なので、卒業すれば正式な学位がもらえます。
今、小学校では100人以上の子どもたちが学んでいて、中学校でも50人以上が在籍中。
"持続可能な発展のためには、未来の大人である子どもたちの育成に手を抜くことはできない"と一人の先生が言っていたのが印象的でした。

日本ではそこのところ、手を抜かずにできているのかしら。


それからもう一つ、とても印象に残っているのが、中学生たちとの懇談会。
平和について学んでいる私たちに何か質問ありますか、ということで質疑応答していたところ、一人の男の子が「どうしてお金を持っている人だけが政治家になるのですか?」っていう質問をしてきた。そんな質問、全く想定してなかったので私はあっけにとられたわけだけど、後から先生が、その男の子の部族は政府に土地を取られた経験があるんだと教えてくれた。つい数年前のこと。先祖代々守ってきた土地を、どうして取られないといけないのか。部族の大人たちがどんなに抗議しても、権力には逆らえず結局取られてしまった。どうして政治家はこんな理不尽なことをするの?彼はそう聞きたかったんだと思う。

それから別の生徒は、「どうして政府は "国民のためになるような政策" を掲げるのに、やっていることは正反対の "国民を苦しめること" なんですか?」と聞いてきた。
彼はフィリピンのコンテクストで聞いたわけだけど「現実は残念ながらどこの国でも同じだよね、それは政府が一部の人の利益しか考えていないからだと思う」とフィリピン人の子がシェアをする。

そう、もし政府が、というか政府という名の下に働く人々が、国民をちゃんと生きている一人の人間として、自分の家族と同じように捉えるのなら、戦争がいいなんて言えないし、その人がどんな苦しみや悲しみを背をってきたかを見るのなら、それを救うための努力を怠らないと思う。

日本もそうだし、世界中で、みんなが自己中心的になっていて、それがすべての争いの元凶のような気がする。大きな争いも、小さな争いも。





そんなわけで、たくさん学び、いろいろ考えたサバイバルな7日間。
東南アジアからの同級生とも寝食をともにした愉快な日々なのでした。















2016年7月3日日曜日

UPeaceでの卒業式

先月、第二週にUPEACEの卒業式がありました。




アメリカの学園ドラマとかで見ていた卒業式のガウンを着れて、とても新鮮だった!
といっても、わたしはまだフィリピンでの半年が残っているので、正式な卒業じゃないけれども...


それでも、ここコスタリカでの学生生活は終わりで、世界各国から集った同級生ともお別れ。


必ずまたどこかで会える、そう思って疑わないけれど、でもこうやって、一つの部屋にコスタリカ人、フィリピン人、アメリカ人、ミャンマー人、フィリピン人、コロンビア人、エジプト人、トルコ人、スイス人、ハイチ人、ケニア人、そして日本人のわたし…と集まることができるのは、もうこの先の人生で早々ないだろうな、とおもう。

だからそういう意味でも、本当にこのコスタリカでの10ヶ月はとても貴重だった。

卒業式のあと、仲良しの友人たちと最後の旅行にビーチへ行って、課題の締め切りや課題文献の読み込みなんかに追われることなく、ゆっくりといろんな話ができてとてもよかった。



みんな、育った国も環境も、今ある社会的地位もこれからの将来もそれぞれだけれど、一昨年の今頃、おなじようにUPeaceへの入学を考えて実行したっていう、ほんのその偶然だけで、こうやってお互いの人生で交差して、いっしょにビーチでくつろいだりしてる。








わたしはAPSのプログラムがなければここには来られなかったので、そういう意味でもとっても幸運だったし、本当にいろんな人のおかげだなぁと心から感謝なのです。


そんなわけで、コスタリカの日々に終わりを告げて、再びフィリピン・マニラでのせわしない日々が始まりました。
とにかく暑すぎて熱中症になるほど…早く慣れたい...
このアジアだなーという雰囲気も久しぶり。
あ、焼けたせいで完全にフィリピン人に間違われる笑!
そして何と言っても、授業が忙しい!!!

課題に追われる日々が始まる...けれどその前に、ミンダナオ島へのフィールドトリップに行ってきます。ジャングルの中での7泊8日、いったい何が起こるやら!




2016年4月30日土曜日

学校見学

早いもので、コスタリカでのコースは残り2つとなりました。
いまのコースはEducation for Sustainabilityで、国連の地球憲章をはじめ、持続可能な発展のためにどのような学びが必要なのか、を議論しています。

そしてきょうは、首都サンホセ郊外にある学校を訪ねてきました。
なかなかないフィールドトリップだったのでとてもワクワク!



1975年設立のこの学校は、英語/スペイン語を使用する幼稚園から高校まであるバイリンガルスクール。今回わたしたちが見学に来たのは、この学校が独自に取り組む環境プロジェクトおよびユニークな教育方法のためです。

今日は主に小学校で毎週金曜日にやっている環境プロジェクトを見学させてもらいました。
プロジェクトは校舎周りの清掃からコンポスト作り、水問題やエコロジカルフットプリントなど10個くらいあって、子どもたち自身がやりたいプロジェクトを選んで、一年間継続的に取り組みます。そして私が良いなーと思ったのが縦割りで1年生も6年生も様々な学年の子どもたちが一緒になって学んでいるところ。子どもたち同士で助け合ったり学びあったりしていて、とても刺激的だろうなぁと。低学年にとっては身近にお姉さん/お兄さんみたいな存在がいるのは心強いし、高学年にとっては同学年とは違うニーズのケアを学ぶいい機会だろうなぁ。そしてこのプロジェクトに関しては、担当教科や担当学年に関わらず先生たちも関わっていて、きっと子どもたちの新しい一面を見れるし、先生自身も学び多き時間なんだろうなぁと思ったり。




子どもの内面から出てくる興味や学びをとても大切にしている学校で、先生たちの目が子ども一人一人にちゃんと行き届いているし、先生の愛情とか思いやる気持ちがしっかりと子どもにキャッチされているなと感じました。こういう類の関係性を作るのは簡単じゃないからこそ、こうやって自然体でできる人を私はすごく尊敬する。


それからこの学校では、障害のある子もない子も一緒に勉強する。
わたしたちが見学しているとき、男の子が一人、案内してくれていた先生のところこそっと来てすぐ行っちゃったんだけど、彼が箱をリサイクルして作った貯金箱を持ってきてくれたのでした。




あの子、実はアスペルガーなんだけどね〜とさらっと先生は言って、貯金箱よくできている!と褒めて、遠くからチラッとこちらを見ていた男の子にもちろん気づいて、微笑んでいたのでした。

そして先生同士のコミュニケーションがとても活発で、きっとそれがこの学校の温かくて開放的な雰囲気を作る上で大きく貢献していると思う。子どもと先生だけでなく、先生同士もまた、お互いに一人の人間として、対等な立場で関係を築けているのは素晴らしい。



あと、日本との比較を考えると、いろいろポイントはあるんだけれど、教室の違いがやっぱり興味深い。この学校は他コスタリカの公立学校とは違うだろうけれど、各教室にトイレと、なんと電子レンジが一個ずつありました(笑)日本だと考えられないな〜、ん?でもなんで?って思って、それってやっぱり給食のおかげで必要ないんだよね。



そんなことを考えているうちにお昼の時間になって、一体みんな何を食べているんだろうと興味津々だったんだけれど、ピザを食べたり明らかにスーパーで買ってきたお弁当を食べている子どもたちもちらほら...
栄養指導もしているとのことだったけれど、ジャンクフードが巷にあふれるコスタリカの環境では食育は前途多難そうだな〜と感じました...そういう意味では、地産地消を心がけたりオーガニックにも気を使う日本の学校給食システムはすごいし、家庭科とかで実際に自分で包丁を持って作る体験ができるのもなかなかすぐれているだろうな。

海外に出て体を壊すこともあったからこそ、what you eat is who you are (食べてるものが自分自身)という言葉が身にしみてわかるようになったし、だからこそ小さい頃からそういう価値観に触れることってとても大切だと思う。

きっと食育も実行できればこの学校はますます良くなるだろうな〜なんて思いつつ、こんなところで先生になりたい!と胸膨らむ1日なのでした。


2016年3月19日土曜日

模擬国連

国連平和大学ということで、授業で模擬国連をやりました。
まるまる3日間のこの授業では、様々な部門に分かれて、本物の会議さながらに議論を進めて決議案を出していきます。

今年度の部門は全部で6つ。
国連総会:東シナ海における領土及び防衛問題
世界貿易機構:WTOにおける環境問題への取り組み
国連人権理事会:性と生殖に関する健康と権利
国連総会:UN平和維持軍における合法性
安全保障理事会:シリアの治安及び平和維持活動
欧州人権裁判所:少数民族ロマの子どもの教育及び差別の禁止に関する裁判

わたしはヨーロッパ人権裁判所で、クロアチアのロマの子どもたちの権利を守るべく、裁判官になりました!



今回、議題となったロマの人々はジプシーと呼ばれることもあり、ヨーロッパの広い地域にいる独自の言語や文化を持っている部族。もともとはインドなどの中央アジアにルーツを持つと言われており、歌や踊りなど芸術に長けている人が多いのも有名。今では定住する人も多くいるけれど、元々は各地を転々とする生活スタイルでした。

そしてヨーロッパに行ったことがある人だったら経験した人もいるかもしれないけれど、じつは彼らの犯罪行為も悪名高く、盗みや詐欺行為をする女性や子どもも少なくないとか。私自身は犯罪にあったことはないけれど、大学生の頃に行ったスペインで大聖堂の前で物乞いをしているロマ族の子どもたちを見てすごくびっくりした思い出が...。当時の私にとって、その光景は自分の中にあったきらびやかなヨーロッパのイメージと全然違ったのでなかなかショックなのでした。

それから彼らの歴史は迫害の連続で、ナチスドイツはユダヤ人だけでなくロマに対してもかなり酷い弾圧と迫害がありました。そして今でも、ヨーロッパ各地で彼らに対する差別や偏見、弾圧行為が行われており、チェコ、スロバキア、ルーマニア、ハンガリー...いろいろな国で彼らの権利をめぐって議論が起こっています。

今回の議題もまさにその一つ。

舞台はクロアチアで、訴訟を起こしたのはなんと当時10歳から15歳だったロマ族の子ども達15人。クロアチアの公立小学校において、ロマ族の子どものみの隔離教育、簡易カリキュラムの使用、彼らにとって第二言語となるクロアチア語補修クラスの不足などがあったため、以下三つの条項についての違反の有無について議論をしました。
1)公平な裁判を受ける権利
2)差別の禁止
3)教育を受ける権利
※ちなみに実際にあった訴訟をもとにしています





で、今回の私たちの議論では公平な裁判を受ける権利の侵害、差別の禁止の違反は認められるけれど、教育を受ける権利の侵害は認められない、という判決に収まりました。

公平な裁判をめぐっては、この裁判が4年以上にわたって行われたため、学習機会の剥奪など裁判による損害が認められたためです。

そして他2つの条項に関しては、世界人権宣言(UDHR)や児童の権利に関する条約(CRC)を見ればこれは明らかに教育を受ける権利の侵害でしょ!ってなるんだけれども、今回の裁判はヨーロッパ人権条約に基づくものだから使えない。

本当に、たくさんの事柄が関係していて複雑な問題なんだけれど、大きな問題の一つは第二言語のクロアチア語/クロアチア文化に基づいた教育を受けるロマの子どもたちへ、政府や学校がどれくらいの配慮をするのか、ということ。
今回の訴訟においては、クロアチア語能力の低さがロマの子どもを隔離クラスに入れたり簡易化されたカリキュラムの使用理由としてあげられていて、そのロマのニーズを知りつつも学校側は言語補修クラスを全てのロマの子どもたちには提供していなかった。
わたしは、この事実は「全ての子どもたちに適した教育を施す」という責任を学校や政府が果たしていないくて、なおかつ言語の違いに基づいた差別を引き起こしているために、結果的に教育を受ける権利を侵害していると思う。UDHRやCRCを参照したらそれで合っていると思うのだけれども、ヨーロッパ人権宣言だと「国は教育を受ける権利を否定してはならない」というなんともぼやっとした書き方をしていて、そうすると今回の件ではロマの子どもたちをはじめから除外しているわけではないので(むしろ隔離教育をしてレベルに適した教育をしている!という主張が通る)この違反には当てはまらない、という結論に。

で、実際の裁判においても差別の禁止と教育を受ける権利の違反は認められなかったのでした。

だけど似たようなチェコの裁判では、ロマの子どもが特別支援クラスに入れられていたこともあり、二つの条項に関しての違反が認められていた。
一体何をもって差別とするのか、国はどこまで個人の教育を受ける権利を保障できるのか、答えはいつも白黒はっきりわけられるわけじゃないんだよね。

なかなか緊張感のある3日間限定の裁判官体験でした。
明日からイースター休み!しばしの休暇、グアテマラへ行ってきまーす^^




2016年3月7日月曜日

TVM

今月1日で、このプログラムに参加してまるまる1年が経ちました。
もうこれで4年も日本の桜を見てないな...
コスタリカでの日々も、早いもので残りあと3ヶ月。
この生活が当たりまえの日常になっているからなかなか感じないけれど、1日1日が実はとても貴重な時間なんだろうなと思います。


きのうとおとといはThe Vagina Monologueというパフォーマンスを大学でやりました。



じつはコスタリカでは自分にとって全く新しいことを始めようと思って、去年は毎週インプロビゼーションという即興劇のクラスに行ってました。
今年に入ってからインストラクターの都合でなくなってしまったんだけれど、いろんなつながりがあって今回のパフォーマンスに出ることに。



The Vagina Monologueはアメリカ人のEve Enslerという劇作家が世界各国の200名を超える女性たちへのインタビューを基に、彼女たちが自らの女性器について語ったモノローグを舞台化したもの。1996年にブロードウェイで上演された時にはメリル・ストリープやグレン・クローズも出演した舞台です。

彼女のTED talkにて語られるThe Vagina Monologueの背景がとても興味深いです
【イヴ・エンスラー心と体に宿る幸せ】
http://www.ted.com/talks/eve_ensler_on_happiness_in_body_and_soul?language=ja


舞台に立つなんてとてもわたしのキャラじゃないし、英語でセリフ覚えるとかできるのかとか、そもそも内容も....といろいろな葛藤がありながら、練習を続けた3ヶ月。

日々の授業や課題の合間に練習して、毎週集まってリハーサルするのはとても簡単ではなかったけれど、すごく、すごく、いい経験になりました。
演じる、舞台に立つ、ということももちろんだけれど、文字通り多種多様な人種や文化のなかで一つのことを成し遂げるっていうプロセスがとても勉強になったし、楽しかった。


それから、この内容に関してのたくさんの議論。

この多様性に恵まれたオープンな環境のなかでももちろん、性の話題をタブー視する人は少なくない。こんなこと、舞台にするなんておかしいっていう人もいるし、vaginaという一単語を聞いただけで思いっきり顔をしかめる人もいたし、チケットを買ったもののやっぱり返す、という人もいた。
そんな人はだいたい男性だったけれど、女性でも少なからずいたり。

私も出演者でありながら、そんな人たちの気持ちもなんとなく察していた。
だって日本のコンテクストだったら、なかなか難しいもんね。
私にとってもこの手の話題は英語だったら話せるけれど日本語だったら話しにくい類の一つ。自分にとって第二言語の英語は第一言語の日本語ほど単語の意味に重みを感じないから、躊躇なく話せるんだろうな。

そんないろいろのやり取りがありつつも、無事に公演初日を迎えてなかなかの大成功に終わったわけでした。



だけど二日目の公演直前の舞台裏で、他の出演者と話をしていて初日の公演でなかなか劇場内に留まれない男性がいた、という話が出た。
どうして留まれなかったかというと、vaginaの話題は彼にとって気まずいものだったから。で、どうして気まずいのかといえば、彼の文化的にとても馴染むものではないから。
まあそうだよね、という諦めとも同情とも言えるような相槌がその場に流れたんだけど、でも、なんでもかんでも「文化」を言い訳にするなんておかしい、という意見が出た。

どの文化にだって男性と女性はいて、だから性の話題はどこにでもあるもので、vaginaだってその一つ。
それを「文化だから」を根拠に避けるのはおかしい。

確かにその通りで、この多様性のコミュニティの中では「文化」がある種の言い訳としてまかり通ってしまう。
+みんなの中で意見を言わない
+言い方がストレート
+時間を守らない
その他いろんなことが「文化」という一言で丸め込まれてしまって、その先の議論を妨げてしまう。それはその問題の根本的な事実を見ていない。

このThe Vagina Monologueは決してエロティックでハッピーな内容ばかりではなくて、むしろモノローグの多くはレイプや暴力やFGM、その他にも女性が社会から受けている多くの抑圧的でネガティブな内容が含まれている。
だから「文化」という名のもとにそういう事実から目を背けるのは、その中にある議論の中心を避けていることになる。


でもだからといって、一方的な視点を押し付ける(今回のことでいえば劇場内に無理やり留める)のもやっぱりおかしいと思う。
この手の話題が大きなタブーとして扱われている社会で育ってきたら、生理的な嫌悪感や拒否反応は避けられない。


うーん、難しい。
相互理解とか異文化理解とかなんて、そんなの夢のまた夢だと思う。
難しいけれど、それでも、このThe Vagina Monologueはタブーの世界をいい意味でぶち壊してくれました。
プロダクションチームと共演者のみんなに感謝!

2016年2月6日土曜日

Interfaith Harmony Week

今週は国連のWorld Interfaith Harmony Weekらしいです。
http://www.un.org/en/events/interfaithharmonyweek/

そんなわけで、学校ではFaiths & Climate Changeというブラウンバックがありました。
学生、教授の中から仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、シク教、キリスト教、イスラム教、道教の代表者が出て、それぞれの宗教から見た「人間と環境」について語ってくれました。それにしても、こんなにいろんな宗教の人がいたのか、と改めて気付いた。
普段はそれぐらい、気にしていないんだなー。



最初は「なぜに宗教と環境問題?」と思ったけれど、人間とその他のいろんな力について語っている宗教は実はとても環境問題とも関わりがあったんだなーと思いました。
それに宗教は違っても、やっぱり他の人間や人間以外のものに対する思いやりについて説いているところとか、たくさんの共通点があるのはふしぎ。

ちょうど授業は今週から"Intercultural Education"になって、自分のアイデンティティーを考えさせられるときが多いんだけれど、つくづく自分はこの手の知識がないなーと思う。それぞれの宗教の背景知識がもっとあれば、もっと楽しめただろうなと思ったり。

まあでも早いもので、コスタリカ生活も残り4か月弱です。
協力隊の2年に比べるとそりゃもう、あっという間!

なのに...やっぱりというか、ウガンダに引き続き、また歯医者にお世話になることに....(;_;)
海外に出ると、命を失わずに帰国することが一番大切、とよく言われるけれど、私はその次に現地で歯の治療せずに帰国できるのが大切だと思ってます、本当に。。


2016年1月19日火曜日

Who you are is how you teach.

一ヶ月の休暇が終わり、南米旅行から帰ってきて、さっそく次の日から授業が始まりました。
ハプニング続出の南米旅行で疲れ果ててはいたものの、それ以上に世界各国から戻ってきたクラスメイトに会うのがたのしみでたのしみで。
そして学校に着いたらハグとキスの嵐で、みんなの思い思いの休暇話に花が咲いたのでした。

そんな中ではじまった今年最初の授業はHuman Rights Education.
平和教育コースのなかでも、わたしがたのしみにしていた授業のひとつでもあります。この授業はとても活発で、アクティビティで学生を巻き込むし、惹きつけられる授業ってこういうのなんだなーとしみじみ思う。
イスラエル人の教授の話はとても興味深いし、私の知らない世界がたくさんある。
そして今の授業は、教育コースだけでなく平和学やメディア学専攻の学生もいるので、ますます多様性が増していろんな視点からの「人権教育」を垣間見られるのもおもしろい。

”人権教育”と言ってもいろんなものが溢れていて、目移りしてしまうけれど、今回のコースでは主に子どもに対する人権教育が議論の中心。
だから最終課題もちょっとユニークで、人権教育の教材になるような絵本を作ること。
金曜日にはその最終課題へ向けて、ブレインストーミングも兼ねたプレゼンがありました。

それぞれにとっての人権の課題や、人権問題に取り組んでいるヒーロー/ヒロインについての発表はハッとさせられることも多かった。
世の中には本当にたくさんの、凄腕のアクティビストたちがいるもんです。


そして何より、教授が人権について話したり、人権教材の絵本を持って帰れないような国があることを指摘していて、改めてこうやって何の制約や恐怖もなく、私たちの権利について自由に話すことができるのは普通のことじゃないんだ、ってかんじた。
特にそんな国が、隣に座るクラスメイトの出身国だったりするから。

おかしいことを「おかしい」と言えること。
性別、年齢、人種、国籍、その他いろんな違いによって、弾圧されないということ。
日本だって女のくせに、とか年下のくせに、とかが理由になって「出る杭打たれる」状況は多々あるわけで。
そんな世界が終わるのはいつになることやら。



でも絵本はとてもいいと思うのです。
内容だけでなく、聴く姿勢を身につけられるし、読み聞かせは特に、大人と子どもの信頼関係が築けるから。
"Who you are is how you teach."と教授が言っていたように、自分の存在それ自体がどう教えるのかってことに直結する。責任重大!

ということで、どんな絵本ができるのか、たのしみ。