2015年11月14日土曜日

ジェンダーのこと

こちらに来て4つ目の「安全保障とジェンダー」のクラスがきょうで終わり。
今回のクラスは平和教育コースとジェンダーコースとの合同授業でした。

初めてジェンダーを学問という観点からアプローチしてみて、新しい気付きが多かった。
というのも、わたし自身、いままで自分が女性だからという観点から物事を見たことがあまりなかったから。
「女性だから」ということが理由で差別を受けたり、理不尽なことをされた、という記憶が幸運にもあまりない。だけど見渡してみれば、いろんなジェンダー問題が自分に関わる身近な距離でも溢れていて、全くもって自分に見えてなかっただけなんだなあと思う。

ジェンダーについて、授業受けるまえまではただ漠然と「男女の性差と社会との関わり」と思っていたけれど、これは実はもっと広い範囲で、男女だけでなくたとえばLGTBIと言われる性的マイノリティーの人々も含めて「性が違う、ということが暴力や差別や、そのほかさまざまな社会的不公平を起こさないようにするにはどうしたらいいか、そして男性も女性もそのほかの性も、自分らしく生きて行くにはどうしたらいいか考えよう」という学問なんだろうなーと思った。だからジェンダーと切っても切れないフェミニズムの思想だって、決して男性を毛嫌いするものなんかじゃない。むしろ社会が期待するような性別の役割にとらわれたり固執して息苦しくならないように、自分らしさを追求するための足掛かりなのかなと思う。

世界第3位の経済大国の日本は2014年度の調査によるジェンダーギャップ(男女平等)指数は142ヵ国中104位。項目ごとに見ていけば、政治関与はなんと129位。わたしは学校で男の子も女の子もいっしょだよと言われて育ったわけだけども、国際社会の基準で見れば、残念だけれどいまの日本は全くそうじゃないらしい。

その要因はたくさんあるんだろうけれど、その一つにはきっと子どもの頃からの「男の子なんだから」「女の子なんだから」という思い込みに縛られてしまうことがあるんだと思う。学校の制服、ランドセルの色に始まり、理系/文系とか運動部か文化部とか、もう無意識にいろんな場面でそれぞれの性に対して「こうあるべき」というイメージが固定化されてしまってる。そして無意識だからこそ、一度縛られてしまうとそこから抜け出すのはなかなか難しい。
これはもうジェンダーの領域に限らず、国籍や年齢や宗教や人種や、いろんな要素によって人を一般化するのといっしょで、「〜だから」と一括りにしてしまうことは、その人自身を見ていない。その人が持つたった一つの構成要素によってその人自身をジャッジすることはとても危険だ。

教育を勉強してるはずなのになんでジェンダーの授業があるんだろう、って最初は疑問に感じたけれど、多文化共生を謳う教育ならジェンダーを扱わないのはたしかにおかしい。人はみんな違うんだ、って気づかせてくれる一番身近な要素が性差だからこそ、本当は学校教育でももっとジェンダーの視点を入れたらいいんだろうな。

そして今日から久々の4連休なので、コスタリカの北側に接する隣国ニカラグアへいってきます。
コスタリカと一味違った中米を感じられますように!