2015年11月14日土曜日

ジェンダーのこと

こちらに来て4つ目の「安全保障とジェンダー」のクラスがきょうで終わり。
今回のクラスは平和教育コースとジェンダーコースとの合同授業でした。

初めてジェンダーを学問という観点からアプローチしてみて、新しい気付きが多かった。
というのも、わたし自身、いままで自分が女性だからという観点から物事を見たことがあまりなかったから。
「女性だから」ということが理由で差別を受けたり、理不尽なことをされた、という記憶が幸運にもあまりない。だけど見渡してみれば、いろんなジェンダー問題が自分に関わる身近な距離でも溢れていて、全くもって自分に見えてなかっただけなんだなあと思う。

ジェンダーについて、授業受けるまえまではただ漠然と「男女の性差と社会との関わり」と思っていたけれど、これは実はもっと広い範囲で、男女だけでなくたとえばLGTBIと言われる性的マイノリティーの人々も含めて「性が違う、ということが暴力や差別や、そのほかさまざまな社会的不公平を起こさないようにするにはどうしたらいいか、そして男性も女性もそのほかの性も、自分らしく生きて行くにはどうしたらいいか考えよう」という学問なんだろうなーと思った。だからジェンダーと切っても切れないフェミニズムの思想だって、決して男性を毛嫌いするものなんかじゃない。むしろ社会が期待するような性別の役割にとらわれたり固執して息苦しくならないように、自分らしさを追求するための足掛かりなのかなと思う。

世界第3位の経済大国の日本は2014年度の調査によるジェンダーギャップ(男女平等)指数は142ヵ国中104位。項目ごとに見ていけば、政治関与はなんと129位。わたしは学校で男の子も女の子もいっしょだよと言われて育ったわけだけども、国際社会の基準で見れば、残念だけれどいまの日本は全くそうじゃないらしい。

その要因はたくさんあるんだろうけれど、その一つにはきっと子どもの頃からの「男の子なんだから」「女の子なんだから」という思い込みに縛られてしまうことがあるんだと思う。学校の制服、ランドセルの色に始まり、理系/文系とか運動部か文化部とか、もう無意識にいろんな場面でそれぞれの性に対して「こうあるべき」というイメージが固定化されてしまってる。そして無意識だからこそ、一度縛られてしまうとそこから抜け出すのはなかなか難しい。
これはもうジェンダーの領域に限らず、国籍や年齢や宗教や人種や、いろんな要素によって人を一般化するのといっしょで、「〜だから」と一括りにしてしまうことは、その人自身を見ていない。その人が持つたった一つの構成要素によってその人自身をジャッジすることはとても危険だ。

教育を勉強してるはずなのになんでジェンダーの授業があるんだろう、って最初は疑問に感じたけれど、多文化共生を謳う教育ならジェンダーを扱わないのはたしかにおかしい。人はみんな違うんだ、って気づかせてくれる一番身近な要素が性差だからこそ、本当は学校教育でももっとジェンダーの視点を入れたらいいんだろうな。

そして今日から久々の4連休なので、コスタリカの北側に接する隣国ニカラグアへいってきます。
コスタリカと一味違った中米を感じられますように!

2015年10月6日火曜日

授業のはじまり

先週の水曜から、待ちわびていたPeace Educationのコースがはじまりました。
クラスメイトは16人で、アメリカ、カナダ、ドイツ、ニュージーランド、日本、韓国、カンボジア、トルコともちろん国際色豊かで、しかもみんな必ずしも先生だったわけじゃなく、いろんなバックグラウンドのもとに集まっているので多様性には事欠かない。

授業二日目にグローバル教育とネオリベラリズムについての論文の発表をしなければならず、小難しい英語に頭を悩ませていたけれど、授業はとってもおもしろい!
ネオリベラリズムなんてまた国際関係学みたいで鳥肌が立ちそうだったけれど、要は経済発展に重きを置く姿勢がどうグローバル教育に影響しているのか、ということ。
学校での異文化交流や国際理解教育とかってとても価値のあるものだけれど、イギリスやカナダでは資金面で行き詰まって続いていない現実がある。
一方で大学生の海外留学や国際ボランティアはとても活発で好調。でもイギリスやカナダ、アメリカなどの大学で多くの留学生を受け入れているのは、外国人学生が2倍の授業料を払ってくれるからいい資金源としている...とか。結局、お金と教育を切り離すことなんてできなくて、いい理想を掲げていてもそれを実現できる予算を確保できないと、そしてそれが持続可能な方法でないとできないんだよね。そもそも教育はすぐに結果がでないし、すぐにお金になるものじゃない。でもだからこそ、投資することが大切なんだけれども、目先の利益にとらわれてそんなこと言ってられないよーってなっているのがいまの世の中な気がする。だから、経済主義に偏っている社会構造自体を変えることが必要で、そう思うとわたしには無理な気がして「impossibleだ〜」って言ったら先生から「そんなこと言わないで、ここで勉強しているのはなんのためなの?」と言われてしまった(笑)








そして金曜日は同級生のファシリテートのもと、瞑想からクラスがはじまりました。
授業もなかなか盛り沢山で、環境教育からFuture Education(はじめて知った)にカナダの先住民、日本、ウガンダ(!)での平和教育の取組み、そして宗教と平和教育の関わりについての論文のプレゼンテーション。
ウガンダは北部アチョリ族の子ども兵とそのコミュニティでの和解とリハビリも兼ねた平和構築プログラムについての論文で、映画「War Dance」を思い出す内容。
日本の平和教育については、歴史教育にとらわれすぎている印象。アメリカにこんなことされた、戦争が大変だった、戦争は起こしちゃいけない、という議論はもうおなかいっぱい。これから必要なのは、じゃあどうしたらいいの?っていう、より具体的で建設的なHowなんだと思う。そう、日本の教育っていろいろと詰め込まれる割に、肝心のHowに欠けている気がする。

そんなもやもやがありつつ、そして教師の経験も教育業界の経験もほとんどないわたしにはなかなかコメントしづらい部分がありつつも、クラスメイトとの議論はとても刺激的で、純粋に学ぶ楽しさを感じています。
しばらく論文を読みこなすのと課題エッセイに追われるけれど、集中して好きなことを勉強できるこの環境はとてもありがたいのです。

そして今日はWorld Teachers' Day!
恩師のみなさまに感謝なのです!




2015年9月17日木曜日

Universidad para la Paz

ついに8月は一度も更新しないまま、月が変わってしまいました...

そして、ここ1年ちょっと、ずーっと夢だったコスタリカでの生活がはじまりました。
修士課程プログラムも、やっと本番がはじまったというところ。

コスタリカに来て1ヶ月。

バス通学になったので、朝にちゃんと余裕をもたなきゃいけないとか、
宿題で出される読み物の量とか、物価の高さとか、スペイン語の環境とか、
フィリピンでの違いもたくさんあるけれど基礎コースも終わり、ようやくこっちでの生活も落ち着いてきた気がします。

大学はというと、本当に多様性の宝庫で、100人ちょっとしかいないのに50カ国以上から学生が来ています。でも、中東やアフリカの学生が少なくて、そして中国やロシアという大国からの学生がいないのがちょっと残念。


とはいえ、先週終わった3週間の基礎コースは宿題の読み物がたくさんあったけれど、とーっても濃厚な時間でした。この授業は世界の様々な問題(ジェンダー、環境、国際法、紛争解決、教育、異文化理解などなど)について、違う専攻の学生たちといろんな角度から議論しよう、というクラス。毎回予習ののちレクチャーを聴いて、20人くらいのクラスに分かれて議論をする。

わたしの興味のあるものから全く知らないトピックまで幅広くて、しかもいろんな国の視点が混ざり合うディスカッションは複雑だけどすごくおもしろかった。大国の利益、小国の戦略、他国の思惑、国連の役割...クラスメイトの議論を聞いて入るとまるで小さな世界だな、と思う場面がいっぱいありました。



そんななかでもとりわけわたしの印象に残っているのが、それぞれの個人の差別体験をシェアしたとき。
単純なことだけれど、人種も国籍も関係なく、みんな何かしら差別された経験がある。
わたしのなかで、西欧諸国出身の白人は差別にあわないんじゃないか、むしろ加害者のほうなんじゃないか、というバイアスがどこかにあって、だからこそ彼らの話がとても新鮮で、自分のなかにある偏りに気づけたシェアだった。

というのも、ちょっと苦手なアメリカ人の子が同じディスカッショングループにいて、決して悪い人ではないんだけれど、時々(わたしの持っている価値観からは)配慮に欠けるそぶりがあって、それがなんだかわたしのなかでは「傲慢さ」にうつっていた。
短期間だったから深い関わりを持てたわけではないけれども、でもその「傲慢さ」は、人によっては差別と感じてもおかしくないような、攻撃性も含んでいる気がしていた。

だからこそ、彼が自分がユダヤ人家庭の出身で、それにまつわる差別の経験を共有してくれたとき、ちょっと腑に落ちたところがあった。
とくに多民族国家のアメリカでは、いくら自分の国にいても、自分にとってのホームにいても、差別をされるという環境がある。そんな環境下では、時として自分の主張を強くもって、他を顧みずにガツガツ強気でいるいことが必要なときだってある。それが生き抜く術なのかなと思ったのでした。
だからなんだか、日本で育ったわたしは向こうからしてみたら生緩くうつるのかもしれない。平和ボケってこんなとこにもあるのかも。それが良いか悪いかは別として。


そんなことがありつつも、日々コスタリカのラテンな雰囲気と学校での多様性にもまれながら勉強がんばります!






2015年7月19日日曜日

What is peace? のこたえ

先日の比較政治の授業で、
" What is peace?"という問いがでました。
Asian Peacebuiders Scholashipという名のプログラムに参加していて、これから平和学を修めるなら当然の質問だけれど、むずかしい。

そしてその日はちょうど、日本で安保法案が強行採決された日で、
まあそれとは関係なく、たまたまその日の課題文献がそういう内容だったのもあったけれど、
アジア5カ国から来たクラスメイトたちとそれぞれの平和の定義をシェアしました。



いろんな答えがあっておもしろかったんだけど、特徴的だったのは

No war/conflict
No violence
No hunger
No deprivation
No anarchy
No desire (ラオスのクラスメイトから出たこの答えは先生からとても仏教的な考えだ、っていうつっこみがあった)


"〜がない状態"という意味合いが多くでてきたこと。
たしかに、平和を定義づけするときに、あるものよりもないことに目を向けることが多い。

それを先生が指摘したときにマザーテレサの "I was once asked why I don't participate in anti-war demonstrations. I said that I will never do that, but as soon as you have a pro-peace rally, I'll be there. (以前、なぜ反戦運動に参加しないのかと聞かれたことがあったけど、わたしはそういうのには参加しない。でも平和集会にはもちろん参加するわ。)"という言葉をちょっと思い出した。

物事は捉え方しだいなわけで、どういうベクトルに向かってエネルギーを使うかはすごく大切。
わたしは反対するほうにエネルギーを使うよりも、賛成するほうに使ったほうがはるかに効率がいいとおもう。
なによりそのほうが楽しいしね。


だからこの平和の定義においても、なにかをなくすことよりも、なにがあったら平和と言えるのかに目を向けたいなと思ったのでした。




2015年7月8日水曜日

雨期と課題と暴風雨

早いもので七夕もおわり、あと一か月ちょっとで中南米コスタリカに飛ぶ予定!

先月から国際関係学に加えて比較政治学の授業も始まり、Academic Englishの授業も週に2回のプレゼンやエッセイに追いかけられてすっかり忘れていましたが、
フィリピンはただいま、絶賛雨期です。

雨期ってウガンダにもあったしーと思っていたけれど、さすがフィリピン。
ストームがありました。
2時間やそこらで止む雨とはわけが違うのね。
そしてきょうはその台風の影響とやらで、朝から学校が休みになりました。
勉強しに来ている身分としては不謹慎ながら、ひゃっほー!と叫ぶ気持ちを抑えられないくらいうれしかったり…。
もう次から次へと湧いて出てくるような課題の数々に溺れかけていたから…ちょっと余裕ができてよかった♩

最近は土日も課題に追われまくり、今週に至っては先週末からはじまった集中講義のおかげで土曜日も朝から授業です。
これがうわさの大学院生とやらか!というくらい大量の読み物と書くことに追われていて、アフリカで何もすることがないことに困っていた時期がなんだか懐かしく思えてきたり(笑)

そんなわけで、授業は難しいことがたくさんあって悩みつつも、自分の興味のあるテーマを調査することができるから結構おもしろかったりもします。国際関係学では中国のアフリカへの教育援助について調べているんだけど、わたしが思っていた以上に中国の影響力ってすごくて。

”教育援助”と言っても中国側はあくまで "文化交流"としての位置づけを主張しているから援助という線引きも難しいのだけれど、2012年には国費留学生としてアフリカ全土から5500人を中国に招聘していたり、とにかく援助の規模が大きい。
ウガンダにいた当時、子どもから大人まで(多かれ少なかれ偏見が含まれる)チャイナコールをされて非常に腹立たしかったんだけど、考えてみればあんな辺鄙なウガンダの村にまで中国という存在が知られているのはものすごいことなんだね。

と、課題に思いを馳せていたら、あしたとあさっても学校が休みになりました…(笑)
フィリピンの雨期ってすごいな…どうか洪水おきませんように。
安全第一でがんばります。



2015年6月5日金曜日

ルソン島北部の旅

久々に1週間の休みなのでどこかいかなきゃ!ということで、ルソン島北部へ行ってきました。
休暇の直前まで課題と授業に追いつめられていたため、ほとんど何も調べること無くはじめた今回の旅。バスターミナルさえよくわからないまま出かけたので、結果的にタクシーを乗り継いで3つもバスターミナルを回ってしまった(笑)
そんな始まりだったものの、無事に夜行バスに乗れてマニラから約10時間の小さな町、バナウェに着きました。
小さい町にもかかわらずたくさんの観光客がいる理由は、世界遺産のライステラスこと棚田があるから。
道ばたで話しかけられたトライシクルのお兄さんをガイドにして、世界遺産のポイントまで連れて行ってもらいました。
道中も壮大な景色にほれぼれ、というかもうすでに棚田の景色がはじまってました。



なかなか写真では伝わらないけれども、ただただ圧巻。
ウガンダでの2年間、さんざん米に関わることをしていたので、この棚田を手入れして維持し続けることがどれほど手間がかかるのか容易に想像できる。
そして世界遺産のメインポイント。



世界遺産の場所はやっぱり迫力がちがうけれど、どの棚田も先祖代々受け継いで守り続けているのはすごいことだし、ここのお米のほとんどが地産地消ということを聞いてまた感嘆したのでした。

そしてこの地域に暮らす先住民族イフガオのおばあちゃんたちにも遭遇。


鮮やかな民族衣装がとってもすてき。
別のおじいちゃんはなんと自称114歳でした。とにかく長生きなんでしょう。
ワキワキー!っていうあいさつがかわいかった!
天候にも良い出会いにも恵まれてなにより。


今回の旅の主な目的はここバナウェで、本来はここに宿泊する予定だったけれども、バナウェに着いてから予約した宿がサガダというバナウェから3時間の町にあることが判明(笑)
というわけで早めに観光を切り上げて、サガダへ移動。

サガダはhanging coffinという棺桶を崖に吊るすという、なんとも不思議な文化が残るところ。そして町にいくつかある洞窟もまた見所のひとつ。
といっても小さい町だしね、それほど期待していなくて…
そもそも完全なわたしのミスで、全くもって予定外の町への滞在だったわけで。
しかしこれが、なんとも素敵なところでした!

というのも、この地域に入ったアメリカのミッショナリーが地域活性化のための技術を提供したらしく、観光産業がものすごく充実していて、しかもクオリティーが高い。
とくにお土産はジャムやスナックとか食料品もあるし、Tシャツのデザインもなかなかかっこよくて、とりわけ気に入ったのが伝統的な布を使ったバッグやポーチなど。


デザインもさることながら、チャックとか縫い目もしっかりしていて、日本にも輸出できるんじゃないかという高品質。
全部ほしくなるほど、大興奮なのでした。
マニラでは売っていないとのことなので、ミスとはいえサガダに立ち寄れて本当によかった!

そして見所のひとつ、hanging coffinもとても興味深かった。

いまでもこの伝統は続いているらしく、ガイドしてくれたお兄さんは死んだらこうやって埋葬してほしいとのことでした。
そしてこの伝統はインドネシアと中国にもあるらしくて、場所がちがっても人間同じことを考えたりするんだね。

サガダの次は途中の街、バギオで途中下車。
フィリピンの軽井沢と呼ばれるだけあって、標高1300mくらいの街は涼しくてすごく居心地がよかった♬
ここでは博物館で先住民の暮らしを学び、美術館ではフィリピンの現代アートに触れて、駆け足ながらも充実した散策でした。

というわけでバケーションも終わり、来週から本格的に大学院生です。
新しいメンバーとも合流して、超多忙スケジュールを手渡され、あたふたしつつも学生生活楽しみます〜

2015年5月30日土曜日

Tangerines

英語の第二モジュールが終わり、きょうから一週間ほど休暇にはいりました♬

今月半ばから、大学院の授業のひとつである国際関係学がはじまって、英語の授業も大詰めでプレゼンテーションやらディスカッションやらエッセイやらで、ずいぶんと睡眠時間を削った2週間でした…。

国際関係学(International Relationships)の3時間の授業についていくには、大量の英語の読み物をこなす必要があって、基本のセオリーを叩き込んでから実際に世の中で起こっている事柄に当てはめていくのはなかなか難しい。。先生の早口の英語どうこうよりも、そんなことでつまずいてますが、それでもいろんな国籍のクラスメートからそれぞれの国事情を聞くのはとても興味深いです。

先日、その授業でTangerines というエストニアとジョージア(グルジア)の共同製作映画をみました。( 参照:http://eufilmdays.jp/film/tangerines/ )




1990年代、コーカサス地域にあるアブハシアという地域での紛争中の出来事をモチーフに作られた映画。
このアブハシア、調べてみるとアブハシア共和国という名でグルジアからの独立を宣言していて、ロシアはそれを承認しているものの、世界の多くの国々からは未承認の国。
こんな国の名前、聞いたこともなかった。
この地域は民族も文化も多様で、知らなかったのがちょっと損な気分。


映画は、そんなアブハシアでオレンジの栽培をしているエストニア人の老人が、領土争いの最前線にいるグルジア人とチェチェン人の負傷兵を家で看病するところからはじまります。国同士の平和構築は難しくても、一人の人間として対話をすることで憎しみは慈しみに変わっていくのかな、と感じた映画でした。

授業のセオリーを生かしてもっと論理的に読み解きたいところですが、とりあえずバケーションにいってきます♬

2015年5月15日金曜日

プレゼンと通過儀礼

久々の更新!
気付けばフィリピン生活も3か月目に入りました。
相変わらず。フィリピン人に間違えられながらも楽しい日々です。

近頃は授業もすっかりレベルアップして、日々課題と眠気と闘ってます。
まだ自炊も続けているけれど、「いずれそんなこともしてられなくなるわよ」と先生から脅されました(笑)

そんなこんなで、論文を読んだり小さなペーパーを書いたり、スピーチやプレゼンの授業を通して自分の苦手なところが明確になって打ちひしがれながらも、すこしずつ時間が経つに連れて身についてきているのかな、なっていてほしいなーと思ったり。
大変な授業でもがんばれるのは、愉快なクラスメートたちのおかげです。

今週のSpeaking& Listeningの授業は文化人類学のトピックを扱っていて、きのうは通過儀礼についてのグループプレゼンテーションをしました。
3チームにわかれて、それぞれ成人式、結婚式、お葬式について各国事情を発表。
わたしは成人式チームで、パプワニューギニアの部族がやっている、ワニの文様を入れる成人儀礼を紹介したら、みんな写真見ただけで痛がっていました(笑)

全身にワニの鱗のような模様を入れたら一人前!

それからクラスメートが日本のお葬式について紹介していて、そのなかで死に衣装では着物を左前に着ると説明したら「なぜ?」と先生に聞かれて、たしかになんでだろう…と思ったり。日本にいたらあたりまえだけど、気付かないことっていっぱいあるのね。
あとカンボジアの元お坊さんだったクラスメートが、結婚のときにどうして薬指に指輪をするの?という疑問を持っていて、またまた、当たり前のことほどよく知らないなーと思い知らされました。

いろんなお国事情を知るのはやっぱりおもしろいし、同じところもあればちがうところもあるという発見がなんとも新鮮でした。

2015年4月22日水曜日

遺伝子組み換え食品と反論すること

気がつけばすでに4月も後半へ。
あっという間にフィリピン生活も一か月が過ぎました。
先日、キャンパス内で知り合ったアメリカ人に「あなた全然日本人っぽくないね!」と言われました。まあ馴染んでるってことで、褒め言葉として受け取っておこう(笑)


新しいモジュールでは先生も新しくなり、授業内容もより実践的なものになってきました。

Speaking&Listeningの授業では、遺伝子組み換え食品をトピックに意見を述べること、特に反論することを勉強中。

遺伝子組み換え食品って、日本では危険性ばかりが強調されていたイメージだけど、じつはメリットもある。発がん性とか健康被害が懸念されているけれど、そもそもこれを発明したのは、やっぱり科学者が科学者なりに社会を良くしようと思ってのことなんだろうな。

スロヴェニア人Borut BohanecさんのTED Talkがその辺のことをうまくまとめていました。




「知識は力だ」ってSpeakingの先生が言っていた通り、知らないまま反対するのもおかしな話で、いろんな事実を知った上で自分の意見を探さないといけない。


フィリピンにもいろんな顔があって、今住んでいるところはほぼ日本と変わらない。
家から歩いて1分くらいにセブンイレブンがあるし、モールにはユニクロもスタバもあって、電車でちょっと行けば無印良品とかH&Mとか、ほんとになんでもある。
それでも、そんなところからちょっと離れればふつうの人々の生活があって、そんなところにフィリピンらしさがでているなーと思う。


でもそのフィリピンらしささえも、場所によって全然違うんだけどね。
これがフィリピンの生活だ、って一言で言えないように、遺伝子組み換え食品もそのほかの事柄も、ひとつの視点にとらわれずに見ていきたい。


2015年3月28日土曜日

教育のこと

まもなく、英語の第一モジュールが終わります。
一か月、あっという間だったなぁ。
第一モジュールは簡単だから"赤ちゃんモジュール"なんて言われていて、確かに抱えきれないような宿題が出されたわけではないけれど、それでも日々噛み応えのある授業でした。

今週のListening&Speaking ではテーマが教育なのもあって、とっても面白かった。
授業の導入ではTED talkから再生回数第一位のSir Ken Robinson "How schools kill creativity(学校教育は創造性を殺してしまっている)を聞きました。


こてこてのイギリス英語にもう泣きそうだったけれど、これからイギリス人の先生にもたくさん会うだろうから慣れなければ…

表題の通り、彼の主張はいかに現在の教育システムが子どもの持つ創造性や可能性をないがしろにしてしまっているかということ。ウィットに富んだ語り口だけれども、具体例とともに展開する彼の的を得たトークは、さすがNo.1 TED talkだけあります。
これを元にクラスメイトたちとディスカッションをしたり、ロールプレイングをしたりしました。

各国の教育システムについて意見交換をしているとき、興味深いことはいくつもあったんだけれど、一番衝撃的だったのはカンボジアのクラスメイトがシェアしてくれた話。
カンボジアはとにかく留年や退学率が高く、その理由は貧困や学校へのアクセスの難しさもあるけれど、大きな理由のひとつには教育の重要性を認識していない親が多いということ。そしてその背景にあるのが、1970年代のジェノサイドも含むポルポト政権の歴史。ちょうどそのころに子どもだった人たちが、いまの子どもたちの親になっている。

後でちょっと調べてみたら、ポルポト政権時代には学校教育が廃止されて、医者、教師、技術者などの知識人を次々と処刑したのだとか。学校に通ったことの無い、というかそもそも知識を持つことが悪だという社会のなかで子ども時代を過ごしたら、自分の子どもを学校に通わせようだなんて思わないのも無理はない。


国によって教育システムが抱えている問題はそれぞれで、日本と他の国とを一概に比較なんてとてもできないんだけれど、それでも教育ってそもそもは子どもが独り立ちできるように、ちょっと長く生きている周りの大人がサポートしていくことなんじゃないかと思う。机にかじりついて知識を吸収させることが教育じゃない。そしてその概念はきっと、言語も文化も価値観もわたしと全く違う社会でも同じなんじゃないかな。そうであってほしいな。クラスメイトたちと話していて、それを強く思ったのでした。



2015年3月18日水曜日

みんなそれぞれ

今週からがっつり英語の授業がはじまりました!
ありがたいことにたくさん教材もいただきました…こんな厚み久しく見てない...まあ13人分だけどね。



いまはインドネシア、カンボジア、タイ、ベトナム、ラオス、そして日本から来たクラスメイトたちと一緒に学んでいます。修士課程の授業に備えての英語の授業なんだけども、実際はみんな、もう普通にぺらぺら英語話せるんだよね。

授業はReading&Writing, Listening&Speakingの大きく2つに分かれていて、朝9時半から夕方4時半までとみっちり。でも毎日あっというまに過ぎてる...
いまはどちらの授業も文法どうこうとかよりも、"話すこと"がすごく求められているな〜と感じます。授業中の発言とか、グループでのディスカッションとか。

授業ではクラスメートそれぞれのキャラクターがでていておもしろい。
すっごくおしゃべりな子、マイペースな子、ぽつんといいこと言う子、自分をしっかり持ってる子、、、
グループワークとか特に、それぞれの個性が際立っていて濃いな〜って思う(笑)素直におもしろい!それからいろんな国の事情がわかるのも、このインターナショナルな環境ならでは。

きょうのListening&Speakingの授業のトピックが「都市が直面している課題」だったんだけど、渋滞とかの交通機関に関すること、環境汚染や公共サービスの質の乏しさ(教育施設とか病院の不足も含めて)とかは国は違えど同じ課題。でも一方で、日本では普通になっているご近所付き合いの希薄化とか過度のストレスっていうのは他の国ではあんまり見られなかったりする。きょう同じグループだったベトナムの子は、首都ハノイ育ちのシティーガールだけど、ご近所付き合いの希薄化は全くないって言ってた。時々「結婚はいつするの?」とか個人的な質問をされたりするのがうんざりするほど、って(笑)


それから「都市での観光業によって引き起こされる課題」っていうトピックでも、観光開発による文化や環境の破壊や、都市の観光地化が進むにつれて観光客として来た外国人がそこで仕事を得て地元の職を奪っている、などなど、ユニークな視点の意見がたくさんあった。

英語はもちろんだけれども、どんなことが課題と思うのか、それがどうしてそう思うのか、自分なりの切り口を見つけ出すのがすごく難しいなと思う。
ぱぱっとずばっと意見を言えるクラスメートに刺激を受けつつ、アンテナいっぱい立てて自分なりの視点を磨いていきたいな〜というこのごろです。

2015年3月11日水曜日

はじまり

このブログではわたしが参加しているAsian Peacebuilders Scholarshipというプログラムでのフィリピン、およびコスタリカでの日々の生活について綴っていきたいと思います。
このプログラムは全額支給の奨学金を受けてコスタリカにある国連平和大学(University for Peace)で国際平和学を、そしてフィリピンにあるアテネオ・デ・マニラ大学で国際政治学を履修して、二つの修士号を取れることが大きな特徴です。そして日本だけでなくアジア諸国から参加者がいることもこのプログラムならではの点です。


そんなこんなで、フィリピンでの生活も二週目を迎えて、だんだん周りが見えてきました。



わたしの日焼けした肌色のおかげで、タガログ語で話しかけられるほど(笑)
連日のオリエンテーションやテストがようやく落ち着いてきて、明日からはいよいよ授業がはじまります。
とはいってもまだ修士課程の授業ではなく、これから3か月は英語のブラッシュアップを図ります。
なかなかのハードスケジュールが続きそうですが、充実した学習環境(2つのうち1つの図書館は5階建て…!)に加えて、日本と東南アジア五カ国から集まった同級生たちとの日々はもう既にとてもエキサイティング。
久々の学生生活、とてもたのしみ!