この間に二つの授業をとって、フィールドトリップでミンダナオ島に行き、明日から新しいコースが始まります。
ペーパーが全く追いつかない...
それさておき、フィールドワークで行ったミンダナオ島北部のBendumは、Kagayan de oroからハイヤージプニーで5時間くらい。
途中、川を渡らなければならなくて(橋とかなくてそのまま本当に川を渡る)、水位が上がると渡れないということでマニラを朝4:30のフライトで出るという強行スケジュールでした...
ミンダナオと言うと、民族紛争の代名詞のような、危険な香りが漂う気配があるのだけれど、私たちが訪れた北部地域は他の島からの移住者や先住民族が多く住む地域なので、直接的な紛争の被害はあまりないように感じました。フィリピン軍が滞在しているとか、森の中に隠れている勢力がいるかも、ということは耳にしたけれど。
夜になったら蛍もいるし、天の川まではっきり見える星空や、明るい森とか、700〜800メートルの高地に位置していたこともあってちょっと肌寒い感覚とか、なんかこれ知ってるな〜と思ったら、ウガンダとそっくりでした笑
そもそも、このミンダナオというフィリピンで二番目に大きな島には、様々な先住民の人々が暮らしていて、それぞれの部族が異なる文化、言語、風習を持って生活していた。地理的に東南アジアの交易の中心地だったこともあり、1380年頃にはイスラム教が伝わっていた。その後16世紀から17世紀にかけてスペイン人植民者の影響を受け、キリスト教が流入。それが大きく変化したのが第二次世界大戦後、自分の農地を求めて他の島から移住者の流入や、その後もプランテーションや伐採業者がきたことで職を求めて他の地域からの移住者が相次いだ。それによって島民の大半がキリスト教徒を占めることになり、少数派となったムスリムとそれはそれは長い抗争が続いている。ここ数年にわたって和平交渉が積極的に進められているものの、去年9月にミンダナオ南部のサマル島で外国人観光客が原理主義過激派に誘拐され、今年4月には殺害されていたりと、まだまだ争いが絶えない。
そんな背景があって、ミンダナオ紛争は民族抗争やキリスト教とイスラム教の宗教対立で括られそうになるけれど、実はそれだけで済むような問題ではなくて、自然資源の奪い合いになってるところも大きい。そして、その一番の被害を被っているのが、今回訪れたような先住民の人々なのです。
で、ここに何しに行ったかというと、私の大学の研究機関のようなところにいる神父さんが、ここで先住民の方と一緒に30年以上様々な取り組みをされていて、それを勉強しに行ったのです。
5日間にわたって、先住民の幼稚園&小学校、中学校、職業訓練校、コーン農家、森の散策、とコミュニティで行われている様々な取り組みを見学させてもらいました。
一番感動したのはやっぱり学校。
何がすごいって、ここの少数民族学校は少数民族の言語を中心に授業が行われていて、農業や手工芸など民族の価値観を大事にしているし、そしてなんと授業料が寄付なのです。
現金ではなくて、野菜とか鶏とか。
だからここで学びたいという意思さえあれば、勉強ができるのです。
もちろんこれで全てまかなえているわけではないので外部からの寄付がとても重要なのだけれど、コミュニティの求める教育をきちんとカリキュラムにして、なおかつコミュニティの人々がアクセスしやすいように考慮して実行できている、というのはものすごい労力だなぁと。
教育省からの認可も受けている学校なので、卒業すれば正式な学位がもらえます。
今、小学校では100人以上の子どもたちが学んでいて、中学校でも50人以上が在籍中。
"持続可能な発展のためには、未来の大人である子どもたちの育成に手を抜くことはできない"と一人の先生が言っていたのが印象的でした。
日本ではそこのところ、手を抜かずにできているのかしら。
それからもう一つ、とても印象に残っているのが、中学生たちとの懇談会。
平和について学んでいる私たちに何か質問ありますか、ということで質疑応答していたところ、一人の男の子が「どうしてお金を持っている人だけが政治家になるのですか?」っていう質問をしてきた。そんな質問、全く想定してなかったので私はあっけにとられたわけだけど、後から先生が、その男の子の部族は政府に土地を取られた経験があるんだと教えてくれた。つい数年前のこと。先祖代々守ってきた土地を、どうして取られないといけないのか。部族の大人たちがどんなに抗議しても、権力には逆らえず結局取られてしまった。どうして政治家はこんな理不尽なことをするの?彼はそう聞きたかったんだと思う。
それから別の生徒は、「どうして政府は "国民のためになるような政策" を掲げるのに、やっていることは正反対の "国民を苦しめること" なんですか?」と聞いてきた。
彼はフィリピンのコンテクストで聞いたわけだけど「現実は残念ながらどこの国でも同じだよね、それは政府が一部の人の利益しか考えていないからだと思う」とフィリピン人の子がシェアをする。
そう、もし政府が、というか政府という名の下に働く人々が、国民をちゃんと生きている一人の人間として、自分の家族と同じように捉えるのなら、戦争がいいなんて言えないし、その人がどんな苦しみや悲しみを背をってきたかを見るのなら、それを救うための努力を怠らないと思う。
日本もそうだし、世界中で、みんなが自己中心的になっていて、それがすべての争いの元凶のような気がする。大きな争いも、小さな争いも。
そんなわけで、たくさん学び、いろいろ考えたサバイバルな7日間。
東南アジアからの同級生とも寝食をともにした愉快な日々なのでした。
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