このブログのタイトルであるDisce Gaudereはディスケ・ガウデーレと読みますが
ラテン語で「楽しむことを学べ」という意味で、
古代ローマの哲学者、セネカの言葉です。
『村田エフェンディ滞土録』という
主人公がトルコに留学するという小説でこの言葉に出会い、
私も留学でそういう日々を過ごしたいなと思いタイトルにつけました。
もちろん、専門である平和教育学や国際政治学を学術的に学ぶことは必至だけれども、
それ以上に、世界中の多様な価値観に出会って、
「平和」という切り口から世界を見て、自分を見て、
自分も他者もより豊かにする術、
そして、日常の一瞬一瞬をより楽しむための術を身に付けたいなと思っていたのです。
というわけで、21か月に及ぶフィリピンとコスタリカでの留学を終えました。
フィリピンにいた卒業式前後にだけでなく、
帰国してからもしばらくは多忙すぎてあまり実感がなかったけれど、
こうして二つの修士号の紙切れと、
同級生にもらった手紙を読みながら、ああ終わったんだなと実感します。
私にとってはペーパーを書きまくって単位を得て
2つの修士号を得たという事実よりも、
その過程で出会った人々やその人たちと繰り広げたディスカッション、
そして彼らと一緒に過ごした何気ないひとときの方が財産。
この経験のおかげで、
自分自身のこと、身の周りのこと、世界で起こっていること、
いろんな物事に色がついて鮮やかに見えるようになった。
以前からあったけれど、自分の目には映っていなかった、
または映っていたけれどフォーカスしていなかったような事柄が
しっかりと輪郭と色を持って、クリアに見えるようになった感じ。
そしてそういう事柄に対して
自分自身がどう思うのか、どう感じるのか、どうしたいのか、
見極めて言葉にするという作業が少しずつ楽になってきた。
自分の感情や想いにスポットライトを当てて、
無視せずに、時間をかけてきちんと向き合うこと。
これは以前よりもできるようになった気がする。
今度はいつ、みんなに会えるかな。
コスタリカから帰る前日に、仲の良かった友人たちと会った時そんな会話が出て、
当時は「地球は小さいから、いつでも会えるよ!」
「わたし、絶対遊びに行くから!」なんて言っていたけれど
シリア難民の状況は相変わらずだし、
ベルリンでのテロやトルコの政情不安、
アメリカの先行きもわからないし、
何より日本だって、これからどうなるかわからない。
自分も、周りの友人たちも
世界情勢の間に翻弄されている事実を今更ながら体感して
自分の小ささと何もできない無力感に悲しくなる。
でも「平和は自分から」という恩師の言葉を胸に
そしてネルソン・マンデラも言っているように
教育こそが世界を変える最もパワフルな武器だと思うので
この武器が少しでもいい使われ方をされるように
これから尽力していきたいと思うのです。
この21ヶ月間、そしてそれ以前からこの留学のために
たくさんの支援をしてくださったみなさまに感謝いたします。
そしてこのブログを読んでくださったみなさまにも。
わたし一個人の気ままな記録ですが、
もし海外で学びたい、平和学や平和教育学を学びたいと思う方々の
背中を少しでも押すお役に立てたら非常に光栄です。
というわけで、これにてDisce Gaudier in the worldの更新を終わります。
読んでくださって本当にありがとうございました!
2017年がより多くの人にとって幸せと笑顔溢れる日々となりますように。
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