先日の比較政治の授業で、
" What is peace?"という問いがでました。
Asian
Peacebuiders Scholashipという名のプログラムに参加していて、これから平和学を修めるなら当然の質問だけれど、むずかしい。
そしてその日はちょうど、日本で安保法案が強行採決された日で、
まあそれとは関係なく、たまたまその日の課題文献がそういう内容だったのもあったけれど、
アジア5カ国から来たクラスメイトたちとそれぞれの平和の定義をシェアしました。
いろんな答えがあっておもしろかったんだけど、特徴的だったのは
No war/conflict
No violence
No hunger
No deprivation
No anarchy
No desire (ラオスのクラスメイトから出たこの答えは先生からとても仏教的な考えだ、っていうつっこみがあった)
"〜がない状態"という意味合いが多くでてきたこと。
たしかに、平和を定義づけするときに、あるものよりもないことに目を向けることが多い。
それを先生が指摘したときにマザーテレサの "I was
once asked why I don't participate in anti-war demonstrations. I said that I
will never do that, but as soon as you have a pro-peace rally, I'll be there. (以前、なぜ反戦運動に参加しないのかと聞かれたことがあったけど、わたしはそういうのには参加しない。でも平和集会にはもちろん参加するわ。)"という言葉をちょっと思い出した。
物事は捉え方しだいなわけで、どういうベクトルに向かってエネルギーを使うかはすごく大切。
わたしは反対するほうにエネルギーを使うよりも、賛成するほうに使ったほうがはるかに効率がいいとおもう。
なによりそのほうが楽しいしね。
だからこの平和の定義においても、なにかをなくすことよりも、なにがあったら平和と言えるのかに目を向けたいなと思ったのでした。